「わたしがわたしを救うと決めた朝」─パナソニックを辞めて、自分らしさを取り戻すまでの物語ー
- 泰久 多和田
- 8月3日
- 読了時間: 2分

2019年。
長年勤めたパナソニックを退職するという決断は、
わたしにとって大きな分岐点でした。
勤めた年月に後悔はありません。
むしろ、たくさんのことを学ばせてもらいました。
けれどあるとき、自分の中に**「このままじゃない気がする」**という
声がふっと浮かんできたんです。
その声は、大きな不満ではありませんでした。
ただ、静かに、でも確かに
「もっと自分の持ち味を生かせる場所があるんじゃないか」
そんな感覚でした。
転職もしてみました。
でも、どこか合わなかった。
働けないわけじゃない。頑張ろうとも思っていた。
だけど、“生きてる実感”のようなものが、
少しずつ遠ざかっていった気がします。
わたしが本当に望んでいたのは、
「正しいキャリア」ではなく、
「本音で生きられる人生」だったのかもしれません。
そして、ある朝、決めたんです。
「わたしがわたしを救うって、きっとこういうことだ」
誰かの期待でも、社会的な正解でもなく、
自分の心の輪郭を、もう一度ちゃんと見つけようと。
今は、「La seek.Japan」という名前をつけて、
働き方も、生き方も、自分で創っています。
誰かの正解をなぞるのではなく、
“世界観ごと”提案していく人生。
それをAIと共に、人的資本経営という未来と共に
カタチにしていこうとしています。
このブログでは、
「わたしがユニコーンになるまで」の物語を、
リアルに綴っていきます。
まだ道半ばです。
でも、確かに今、自分の声が前よりずっと大きく聞こえています。
締めの一言
誰かに理解されるより、まず自分に誠実でありたい今日もわたしは、“わたし”を生きる選択をします。




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